大学進学で上京したばかりの私は、古いアパートの2階に部屋を借りた。安さだけで決めたその物件で、私は“音”のする隣室に出会う。
家具もないままの夜、私は布団を敷いて眠ろうとした。
すると、隣の空き部屋から「コツ……コツ……」と何かが床を叩く音がする。
不動産屋からは「隣室は空室」と聞いていた。
だがその音は、まるで誰かがスリッパで歩くような規則的な響きだった。
気味が悪かったが、疲れていた私はそのまま眠りについた。
翌日以降も“音”は夜10時を過ぎると始まった。
歩く音に混じって、何かを引きずるような「ギギ……」という音まで聞こえる。
ある日、我慢できなくなり壁に耳をつけた。
音は確かに隣室からで、だんだんこちらの壁へと近づいてくる。
何かが“壁の中”を這っているような錯覚を覚え、背筋が冷たくなった。
意を決して不動産屋に問い合わせると、担当者は少し黙った後でこう言った。
「……あの部屋、事故物件なんです。3年前に女性が一人、誰にも気づかれず――」
私はすぐに部屋を解約した。
あれから引っ越して1年経つが、夜10時を過ぎると、なぜか今の部屋でも耳を澄ましてしまう。
音はもう聞こえない。でも、あの部屋の壁に手を当てた時の冷たさだけは、今も思い出せる。
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