これは、私の叔父が体験したという実話だ。
叔父は若い頃、地方のホテルでフロントスタッフとして働いていた。
そのホテルは山間にある古い建物で、昭和初期から営業を続けている老舗だった。
格式はあるが、設備は古く、特に客室の内装には独特の趣があった。
中でも、**「310号室」**はスタッフの間で少し噂になっていた。
「なんかあの部屋、落ち着かないよな」
「テレビが勝手に点いたとか、聞いたことある」
「カーテンの色だけ、なんで赤いんだ?」
310号室だけ、なぜか真紅のカーテンがかかっていた。
他の部屋はみな白かクリーム色なのに、その部屋だけ異様に目を引く赤。
理由を聞いても、「昔からそうだった」としか返ってこない。
ある日、平日の閑散期に1人の女性客が310号室に宿泊した。
チェックイン時、やや疲れた様子で、部屋への希望もなかったため、空いていたその部屋を割り当てたという。
深夜1時過ぎ。フロントに設置された内線電話が突然鳴った。
受話器を取ると、無言のまま、しばらくしてから小さな声で女性が言った。
「すみません……カーテンの向こうに、人が立ってるんです……」
叔父はぞっとした。
310号室の窓は、山側に面していて、人が立てるような場所ではない。
しかも、その部屋は3階にある。
すぐに確認のため警備担当と一緒に部屋へ向かった。
ノックしても反応がない。
マスターキーで解錠すると、女性はベッドの端で震えていた。
「さっき、赤いカーテンの隙間から、白い顔が覗いてたんです……私、見間違いじゃないです……」
叔父たちはすぐにカーテンを確認したが、もちろん誰もいない。
窓は内側からしっかり閉まっており、外に出られる構造でもなかった。
その晩、女性は別の部屋へ案内され、翌朝には早々にチェックアウトした。
その後も310号室では、「夜中に人の気配がする」「誰もいないのに物音がする」といった苦情が相次ぎ、次第に宿泊利用を避けるようになっていった。
ある日、思い切って叔父が支配人に訊いた。
「どうしてあの部屋だけカーテンが赤いんですか?」
支配人は少し黙ってから、こう答えた。
「……昔な、あの部屋で女の人が首吊ったんだよ。カーテンレールに……」
「えっ……」
「そのときのカーテン、血が染みて取れなくてな。全部替えたのに、どうしても赤く見えるって言う客がいて……それで、思い切って本当に赤いカーテンをつけたんだよ」
言葉を失った叔父は、それ以来310号室に近づかなくなったという。
今ではもう、そのホテルは廃業し、建物も取り壊されてしまったが──
あの部屋の赤いカーテンだけは、なぜか最後までそのまま残されていたらしい。
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