見上げている窓

学生時代、私は東京郊外の古いアパートに住んでいた。
築30年以上の2階建てで、私の部屋は1階の一番奥、日当たりの悪い角部屋だった。

隣室もほとんど空き部屋で、全体的に寂れた雰囲気があった。
けれど家賃が格安だったため、特に気にせず住んでいた。

ある雨の日の夜。
コンビニから帰ってきたとき、ふと上の階の窓に目がいった。

誰かが、窓から下を覗いている。

2階の部屋は空き家だったはずだ。
引っ越してきてから、一度も電気がついているのを見たことがない。
洗濯物もなく、郵便ポストも空のまま。

それなのに、その日は確かに、誰かがカーテンの隙間からこちらを見ていた。

顔ははっきり見えなかった。
ただ、白っぽい何かが、わずかに動いていたように見えた。

気味が悪くなり、足早に部屋へ戻った。

それから数日後の深夜。
寝ていると、どこかから「コン、コン……」とノックのような音が聞こえた。

目を覚まして耳を澄ますと、それはどうやら窓をノックする音だった。
私はそっとカーテンをめくって外を覗いた。

──何もいない。

だが、窓ガラスの中央あたりに、うっすらと指の跡のようなものがついていた。

翌朝、上の部屋を管理人に確認してもらった。

「この部屋、今誰も借りてないんですけどね……鍵も返却されたままですし」

中に入ってもらったが、部屋の中は埃だらけで、人が出入りした様子はなかったという。

「じゃあ、私が見たのは……」

管理人は苦笑しながら言った。

「ここ、昔ちょっとね。前に住んでた女性がいまして。
たしか夜中に飛び降りて亡くなったとか、そんな話があった気がします」

私は背中に冷たいものが走るのを感じた。

それからというもの、2階の“あの部屋の窓”が気になって仕方なかった。

外出から戻るたびに見上げてしまう。

そしてある日、とうとう確信した。

誰かが、いつもそこから見ている。

しかも、目が合うと──カーテンが少しずつ閉じていくのだ。

誰かが、確かに“そこ”にいる。

ある晩、帰宅すると玄関の前に何かが置かれていた。

それは、くしゃくしゃになった白いハンカチだった。

広げてみると、端に小さく名前が刺繍されていた。

「なつき」

私は思い出した。

管理人が言っていた、飛び降りた女性の名前が「ナツキさん」だった。

気味が悪くなり、翌週には引っ越すことを決めた。

荷物をまとめ、最後の夜、部屋で一人過ごしていたときのこと。

ふと、部屋の外から“視線”を感じた。

──窓の外。

そっとカーテンを開けると、上の部屋の窓に、やはり白い顔のようなものが浮かんでいた。

それは、私をじっと見下ろしていた。

そして、唇だけが、かすかに動いた。

「──また、見つけてね」

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