大学を卒業し、一人暮らしを始めたばかりの春のこと。
引っ越し先は駅から少し離れた、古い木造アパートだった。
築年数はかなり経っていたが、家賃が安く、何より静かな環境が気に入っていた。
だが、ある夜を境に、その平穏は崩れた。
深夜2時。眠っていると突然、玄関のチャイムが鳴った。
「ピンポーン」
こんな時間に誰だ?と身構えながら、ドアスコープを覗いたが、誰もいない。
いたずらかと思い、そのまま無視して寝直した。
翌日も、同じ時間にチャイムが鳴った。
そのまた次の日も、まったく同じ時間に鳴る。
しかも、チャイムは一度ではなく、3回続けて鳴るようになった。
「ピンポーン……ピンポーン……ピンポーン」
さすがに気味が悪くなり、管理会社に相談したが、「設備には異常がない」と言われた。
念のためチャイムの電源も切ったが、次の夜も鳴った。
……電源を切ったはずのチャイムが。
不安になった私は、防犯カメラ代わりに玄関にスマホを仕掛けて録画することにした。
翌朝、映像を確認して、ゾッとした。
チャイムが鳴る直前、画面の左端に白い“手”がスッと横切った。
人間の手にしては細すぎる、長くて異様な指。
そして、インターホンの下にある配電盤に、誰かがそっと触れていた。
そんな動作の後、チャイムが3回、鳴った。
私はパニックになり、すぐに友人の家に避難した。
数日後、荷物を引き上げにアパートへ戻ると、玄関のドアに何かが貼られていた。
白い紙に、黒い墨でこう書かれていた。
「出ていけ。ここはわたしの家。」
私はその日、荷物を放置したまま、アパートを後にした。
後から聞いた話だが、数年前、その部屋で孤独死した女性がいたらしい。
発見が遅れ、異臭騒ぎでやっと見つかったという。
たぶん、毎晩チャイムを鳴らしていたのは、
彼女が今も“帰ってきた人間”を追い出そうとしていたのかもしれない。
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