最後の乗客

タクシー運転手をやっていると、不思議なことにたまに遭遇する。
この仕事を始めて20年になるが、今でも忘れられない夜がある。

その日は土曜の深夜2時を回ったころだった。

繁華街での客足も落ち着き、車内でラジオを流しながらひと息ついていたとき、
バックミラー越しに、誰かがタクシーに近づいてくるのが見えた。

女性だった。
ロングスカートに、古びたベージュのコートを着ている。髪は肩までのボブで、少し顔が見えにくい。

ドアを開けると、静かにこう言った。

「……◯◯山霊園まで、お願いします」

──え?

聞き間違いかと思ったが、たしかに「霊園」と言った。

「この時間に、霊園ですか……?」

思わず確認してしまったが、彼女は小さくうなずいた。

まぁ、乗せた以上は仕方ない。
深夜の霊園なんて気味が悪いが、客の希望には応じねばならない。

ルートは把握していた。車をゆっくりと走らせる。

途中、会話は一切なかった。
ミラー越しに様子を見たが、彼女はずっと下を向いていた。まるで眠っているようだった。

20分ほど走り、霊園の入り口に到着した。

「……着きましたよ」

そう言って振り返ると──誰もいなかった。

一瞬、言葉が出なかった。
シートはうっすらと湿っており、ついさっきまで人が座っていたはずなのに。

あまりに現実離れしていて、しばらく呆然としていた。

我に返って車を出そうとしたとき、後部座席に何かが落ちているのに気づいた。

それは、色褪せた写真だった。

4人家族が並んで写っている。
父親、母親、息子、そして──さっきの女だ。間違いない。

裏に文字が書かれていた。

「1993年 春 最後の家族旅行」

私はゾッとして、その写真を警察に届けた。
すると、担当した警察官の顔色が変わった。

「この女性……20年以上前に、ここで亡くなった方かもしれません。
当時、ご家族と心中未遂を起こして……女性だけが行方不明のままになっていたんです」

そんなことが本当にあるのか?

だが、写真は間違いなく後部座席に落ちていたし、私の記憶も鮮明だ。

私は霊感が強い方でもない。
これまで心霊体験なんて一度もなかった。

ただ──

あの夜の帰り道。
バックミラーを何度見ても、誰かがそこに座っているような気配が、ずっと消えなかった。

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