大学時代の夏休み、俺は民俗学を専攻している友人・宮坂の調査に付き合って、小さな山村を訪れた。
その村は地図にもろくに載っておらず、バスは1日に2本しか来ない。
宿も民宿が1軒あるだけで、あとは年季の入った木造家屋が並んでいる。
村の人たちは親切だったが、どこか「よそ者」を見ている目が冷たかった。
特に、夜になると誰も外を歩かず、窓という窓に布がかけられていたのが印象的だった。
ある晩、宮坂が言った。
「ここの古い文献に“留(とどめ)の儀”って儀式があるって書いてあった。
“よそ者が迷い込んだとき、村に留めるためのしきたり”だってさ」
冗談交じりにそう言ったが、俺は笑えなかった。
その夜、泊まっていた民宿で奇妙なことが起きた。
夜中に目が覚めて、ふと障子を見ると、外に影が立っていた。
動かずに、ただそこに立っている。
人かどうかもわからない、輪郭の曖昧な影。
やがて、障子が少しだけ揺れた。
ガタリ、という音とともに──
俺は咄嗟に布団をかぶり、気づかないふりをした。
翌朝、宮坂に話すと彼は顔を青くして言った。
「……実は、俺も見た。部屋の窓に……顔が、貼り付いてた」
二人とも不安になり、早めに村を出ようとしたが、民宿の主人が言った。
「今日はバスは来んよ。……道が崩れたんだ」
代替ルートもないと言われ、俺たちは村に足止めされた。
夜になると、村の外れにある祠から太鼓の音が響き始めた。
ドン……ドン……と、低く重い音。
宮坂が窓の隙間から外を覗いた。
「……誰か運ばれてる。布でぐるぐる巻きにされて、祠のほうに……」
次の瞬間、俺たちの部屋のドアがノックされた。
「宮坂さん、○○さん、お祈りの時間です」
そう言って、民宿の主人の声がした。
俺たちは物音を立てず、息を殺した。
結局、その夜は誰も部屋に入ってこなかった。
翌朝、道が“なぜか”復旧していて、バスも来ていた。
俺と宮坂は無言で村を後にした。
その後、あの村についてどれだけ調べても、「存在の記録」が出てこなかった。
地図からも消えていた。
そして、宮坂はしばらくして行方不明になった。
最後のメッセージは一行だけ──
「あの夜、俺が選ばれたんだと思う」
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