社会人になってから一人暮らしを始めた俺は、不眠気味になった。
仕事のストレスもあるだろうが、夜中に何度も目が覚める。
目覚めるたびに胸がざわざわして、冷や汗をかいている。
夢も覚えていない。ただ、ものすごく疲れているのだ。
そんなとき、ネットで「寝言を録音すると原因がわかることがある」と見かけた。
睡眠用アプリの録音機能を使い、試しに自分の寝言を録ってみることにした。
翌朝、アプリを開くと何件か音声ファイルが保存されていた。
1件目:
「……うん……わかった……」
自分の声だった。寝言らしいが、内容は意味不明。
2件目:
「……やだ……こっちくんな……」
これも自分の声。でも少し切迫していた。
3件目:
「…………(無言)…………」
ただの静寂。途中で微かに「カチッ」と何かが鳴ったような音がする。
そして、4件目。
聞き慣れない女の声で、
はっきりとこう言っていた。
「みつけた」
背筋が凍った。
再生時間は午前2時43分。
もちろん、部屋には俺しかいない。
不安になりながらも、もう一晩録音してみた。
翌朝、5件の録音が残っていた。
3件は俺の寝言。
1件は物音と何かのざわつき。
最後の1件、午前3時12分。
また、あの女の声だった。
「もう、逃げられないよ」
俺はアプリを消し、録音を止めた。怖すぎて聞き続ける気にはなれなかった。
だが、それ以来だ。
寝ている間に夢を見るようになった。
白い部屋。
鏡のように真っ平らな床。
俺はその中でただ座っている。
目の前に“誰か”が立っている。
女だ。
顔は見えない。だが、髪が長く、笑っているのだけはわかる。
「やっと会えたね」
夢の中で彼女は毎晩、少しずつ近づいてくる。
1歩、また1歩。
ある朝、目覚めたとき、布団の端に長い髪が1本落ちていた。
俺の部屋に、女性が入ってきたことなど一度もない。
もうアプリは消してしまったはずなのに、今朝またスマホに録音ファイルが増えていた。
最新の録音にはこう入っていた。
「今夜、となりに行くね」
俺は今、寝るのが怖い。
でも、眠らないわけにもいかない。
そして今夜も、スマホの通知は音もなく点灯している。
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