数年前、郊外で一軒家の中古物件を見に行ったときのことだった。
駅からは少し離れていたが、庭付きで価格も安く、築年数の割に外観はきれいだった。
ネットの写真で見た限りでは申し分ないように思えた。
約束の時間に現地へ行くと、不動産会社の担当者が玄関前で待っていた。
笑顔で挨拶を交わし、物件の中へ案内される。
1階にはリビングとキッチン、そして浴室。
古さはあるものの、丁寧に管理されてきたようで、特に目立った傷みはなかった。
そして2階へ。
南側の部屋は日当たりがよく、明るい印象だった。
だが、北側の部屋に入った瞬間、妙な違和感を覚えた。
空気が急に冷たく感じられ、湿気のようなにおいが鼻を突いた。
床を歩くと、ギシギシと軋む音がした。
家具は何も置かれていないはずなのに、壁際の押し入れのあたりから、どこか重苦しい雰囲気が漂っていた。
なぜか気になって、押し入れをそっと開けてみた。
中には何もなかった。……最初はそう思った。
だが、よく見ると、天井板の裏側に何かが彫られているのに気づいた。
それは子どものような筆跡で、「ごめんなさい」と何度も何度も彫り込まれていた。
乱雑で、不揃いな文字が、板のあちこちに繰り返されている。
ゾクリと背筋に寒気が走り、私は押し入れの戸を閉めようとした。
その瞬間、後ろから「ギッ……ギィ……」という軋み音が聞こえた。
振り返っても誰もいない。担当者は階下にいるはずだ。
階段を降りようとしたとき、上の部屋で“何か”が動く気配がした。
思わず振り返ると、誰もいないはずの北側の部屋──
その押し入れの襖が、ゆっくりと、音もなく閉まっていくところだった。
風だろうかと思いたかったが、家中の窓はすべて閉まっていた。
急いで階段を降り、玄関へ戻ると、担当者が笑顔で迎えてくれた。
「いかがでしたか? 実はこの物件、これまで何度か内見が入ったんですが、なぜか皆さん途中でお帰りになるんですよ」
私は何も言えず、ただ「検討します」とだけ伝えてその場を去った。
それ以来、その家のことを調べようとは思わなかった。
だが、ふと気になって数ヶ月後に再び物件情報を検索してみた。
その物件──いまだに、誰にも買われていないままだった。
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