僕の部屋には、小さな棚がある。そこに古びたぬいぐるみが一体、置かれている。
白くて、くたびれたウサギの形。母が幼い頃に買ってくれたもので、捨てるタイミングを逃してそのままになっていた。
片目が取れかけ、耳もほつれていて、正直言って少し不気味だった。
ある日、大学のバイトから帰ると、そのぬいぐるみの向きが変わっていた。
いつもは壁を向いているのに、その日は真正面を向いていた。
「風とか……揺れたとか……?」
そう自分に言い聞かせて棚に戻したが、次の日もまた少しだけ角度が変わっていた。
3日連続。怖くなってスマホで撮った前日の写真と比較すると、やはりわずかに違っていた。まるで誰かが手に取って戻したかのように。
ついに僕は、部屋に小さな監視カメラを設置した。
ぬいぐるみを正面に見えるようにセットして寝る。内心バカバカしいとは思ったが、好奇心が勝った。
翌日。映像を確認した僕は、凍りついた。
夜中の2時42分。ドアが、ゆっくりと開いた。
部屋には誰もいないはずだった。鍵も閉めた。
にもかかわらず、ドアは勝手に開き、何かが入ってきた。
白い服のようなものをまとった影。
顔ははっきり映っていないが、長い髪が垂れていた。
そいつは棚の前に立ち、ぬいぐるみに手を伸ばした。
そして、ほんのわずかに角度を変える。
それだけをして、何も持たず、何も言わず、音もなく去っていった。
映像を警察に持って行ったが、「不審者とも断定できないし、顔も映っていない」と取り合ってもらえなかった。
翌日、僕はぬいぐるみを処分しようと手に取った。
その時、異変に気づいた。
片目──それは取れていたはずの右目が、戻っていた。
糸で縫い付けられたように、完璧に。
僕は気味が悪くなり、母にそのぬいぐるみの話をした。
母は懐かしそうに言った。
「……ああ、それね。あなたが2歳の時、夜中に泣き出したから様子を見に行ったら、そのぬいぐるみをぎゅっと握ってたのよ。何度も“この子が目を動かした”って言ってた」
母は笑ったが、僕は笑えなかった。
夜中、再びドアが少しだけ開いた。
カメラはセットしていない。
でも──ぬいぐるみは、戻したはずの角度からまた、動いていた。
解説
この話の本当の恐怖は、ぬいぐるみが動いたのではなく、誰かが修復したという点にある。
壊れたぬいぐるみの目が、完璧に元に戻っていた=「何か」が手先を使って修復した。
さらに、2歳時の体験とつながることで、“昔からその存在に見られていた”ことが示唆される。
幽霊か、それとも意思を持つ人形か──読者に解釈を委ねる意味怖構造になっている。
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