僕の母は、去年の冬に亡くなった。
原因は交通事故だった。仕事帰りに歩いていたところ、スリップした車に跳ねられたのだ。
突然の別れに家族全員が落ち込んだ。特に僕は母っ子だったから、数ヶ月はずっとふさぎ込んでいた。
そんなある日、部屋の掃除をしていると、母の古い携帯電話が出てきた。
電源を入れてみると、まだバッテリーが少し残っていた。
何気なく写真フォルダを開くと、僕の知らない写真が何枚か保存されていた。
どれも僕の部屋やリビング、寝ている姿を撮ったものだった。
不思議に思いながらも、母が生前に撮ったのだろうと気にしなかった。
その夜、夢の中に母が出てきた。
「ごめんね、寂しい思いさせて。もう少しだけ、一緒にいるからね」
その言葉が胸に残って、少しだけ気持ちが軽くなった。
数日後から、家の中でおかしなことが起こり始めた。
朝起きると、リビングの椅子が1つだけ引き出されている。
消したはずのテレビが、夜中に勝手に点いている。
妹も「夜中に誰かが階段を上がる音がした」と言っていた。
父は「気のせいだろ」と笑っていたが、どこか不安げだった。
そのうち、キッチンに母のエプロンが干されていたり、母の好きだった茶碗に味噌汁が入っていたりすることが増えた。
家族の誰も入れていないという。
ある日、妹が言った。
「昨日、お母さんに会ったよ。階段のところで。
“ちゃんと歯磨きして寝なさい”って」
僕はゾッとしたが、妹は嬉しそうに笑っていた。
確かに、母の気配のようなものは家の中にあった。
でも、決定的だったのはその次の日だった。
僕の部屋に戻ると、机の上にメモが置かれていた。
『洗濯物はちゃんと取り込んでね』
懐かしい母の筆跡だった。
不思議な気持ちになりながらも、どこか安心してしまった。
だが、ふと気になって、母の携帯電話を再び見直してみた。
あの写真フォルダを開き、撮影日時をチェックした瞬間、背筋が凍った。
──すべての写真が、母の死後に撮影されていた。
リビングの写真も、寝ている自分の姿も、全て、母がもういないはずの時間帯だった。
しかも、最後の1枚には、自分の寝顔のそばに、何者かの長い髪が写り込んでいた。
夢で母が言っていた言葉が脳内で繰り返される。
「もう少しだけ、一緒にいるからね」
僕は急いで母の携帯の電源を切った。
けれどその晩も、誰かが階段を上がる音がしていた。
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