中学2年の春、僕のクラスに「ミカ」という名前の、少し不思議な女の子がいた。
彼女はどちらかというと無口で、目立たないタイプ。誰かとつるむこともなく、休み時間も机に座ってノートに何かを書いているような子だった。
でも、給食の時間になると少しだけ印象が変わった。
ミカは給食を半分ほど食べると、残りをそっとラップに包み、自分のバッグにしまうのだ。
最初は先生に注意されたけれど、彼女は「お母さんが病気で食欲がないから、少しだけ持って帰ってあげたいんです」と言った。
担任は渋々ながら許可した。
それが彼女の日課になった。
誰もが「いい子なんだな」と思っていた。
僕自身も、「優しい子なんだな」と見直した。
でも、ある日を境に彼女は学校を休むようになった。
その朝、担任の先生がこう言った。
「ミカさんはしばらくお休みになります。皆さん、そっとしておいてあげてください」
何があったのかはわからなかった。
数日後、学校に警察が来た。
小さな町では滅多にないことだったから、廊下はすぐに騒然とした。
数時間後、教室に戻ってきた担任の先生の顔は真っ青だった。
その日、僕たちは「ミカの母親が自宅で亡くなっていた」というニュースを知ることになる。
報道によれば、死亡推定時刻は1週間前。遺体が発見されたのは数日前。つまり──死後3日間も誰にも気づかれなかったという。
でも、僕たちは──いや、クラス全員が──気づいていたはずだった。
その“3日間”、ミカは確かに学校に来ていた。
そして、いつもと同じように、給食を半分ラップに包んで持ち帰っていた。
あのときの先生の言葉が、耳の奥で蘇る。
「しばらくお休みになります」
ということは──亡くなった後も一緒に生活していたのか?
母親が亡くなっていたとすれば、あの“持ち帰っていた給食”は一体誰のためだったのか。
気づいてしまった瞬間、僕の背筋に冷たいものが走った。
そしてもうひとつ。僕は思い出してしまった。
最後にミカが来た日のことだ。
僕の机の上に、見覚えのない手紙が置かれていた。
中にはこう書かれていた。
「お母さんはお腹が空いてるって言ってたよ」
解説
ミカの母親は、報道によれば死後3日経って発見されたが、その間もミカは登校していた。
つまり、ミカは母親の死を隠したまま生活し、さらに給食を「母のために」と持ち帰っていた。
遺体に食事を与えるような異常行動、または「母親の死を認識していない」かのような精神状態だった可能性がある。
ラストの手紙は、誰がいつ置いたのかも不明であり、ミカ自身が書いたか、あるいは“もう一人の存在”がいた可能性も……。
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