ただいま

俺が小学6年のとき、母が事故で亡くなった。
父と二人暮らしになって、家の中はどこか静かになった。

それでも、父は毎日夕飯を作ってくれて、俺も学校を休まず通っていた。

ある日、家に帰ると、父が台所で料理をしていた。
「おかえり」と言うその声が、なぜか妙に高かった。

「ただいま」と返すと、父は何も言わずにうなずいた。

それからというもの、父の様子が少しずつ変わっていった。

笑わなくなった。
食事中、ほとんど喋らなくなった。
それでも毎日、決まった時間に帰宅して、同じ料理を作ってくれた。

ある日、ふと思い立って、学校の帰りに友達の家に寄ってゲームをして帰った。
家に着いたのは18時すぎ。

「ただいまー」と玄関を開けると、いつもと違う香りがした。
味噌汁ではなく、カレーの匂い。

台所には誰もいなかった。

リビングに入ると、父がソファで眠っていた。
テレビがつけっぱなしになっていた。

「お父さん?」

声をかけると、父はゆっくり目を覚ました。

「おう、おかえり。……って、あれ?今日、早かったな?」

「え?今、18時だけど?」

父は時計を見て、首を傾げた。

「いや……帰ってきたの、16時半くらいじゃなかったか?」

「いや、ずっと友達ん家にいたし……」

その瞬間、家の奥から「トントントン」と、包丁で何かを切る音がした。

2人して固まった。

父が立ち上がり、台所を覗きに行った。

そこには誰もいなかった。

包丁は、まな板の上に置かれていた。
その隣には、切られかけのじゃがいも。

「……誰か、いたのか?」

父がそう言って、ふと俺の顔を見た。

「なあ、お前……」

「うん?」

「お前、いつから“ただいま”って言うようになった?」

「え?」

「ここ最近、ずっと黙って帰ってきてただろ。
夕飯出しても、一言も喋らなかったじゃないか」

俺は驚いた。

ここ数週間、普通に「ただいま」って言っていたし、
会話もしていたつもりだった。

でも父は言った。

「……ずっと、何かが“お前のふり”をして、俺の前に座ってた気がしてた」

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