一人暮らしを始めて3ヶ月目のこと。
僕は仕事の都合で、郊外の少し古びたマンションに引っ越した。
部屋は1Kで狭かったが、家賃も安く、コンビニも近くにあったので特に不満はなかった。
ただ、引っ越してすぐ、気になることが一つあった。
隣の部屋の住人が、やたらと壁を叩いてくるのだ。
テレビの音量が少しでも大きいと「ドン!」と壁を叩く。
深夜にくしゃみをすると「ドン!」、床に物を落とすと「ドン!」
最初は気にして謝っていたが、やがてこちらがどれだけ気をつけても叩かれるようになり、ストレスが溜まってきた。
ある日、我慢できなくなった僕は、管理人に相談した。
「すみません、隣の方が壁を叩いてくるんですが……。何かトラブルでも?」
管理人は怪訝そうな顔をして言った。
「お隣、今は空室ですよ?」
「え?」
「少し前に退去されて、今は誰も住んでいないはずですが……」
驚いた僕はすぐに部屋に戻り、壁に耳を当てた。
……その瞬間、「ドン!」と壁の向こうから叩く音が返ってきた。
思わず後ずさる。
次の日、思い切って管理人に鍵を借り、隣の部屋に入れてもらうことになった。
しかし、中はまったくの空き部屋だった。家具も何もなく、埃がうっすら積もっていた。
「誰か入ってきた形跡もないですねえ……」と管理人は首を傾げていた。
不気味だったが、その日から壁を叩かれることはなくなった。
それからしばらくして、会社の飲み会が遅くなり、深夜2時すぎに帰宅した日。
鍵を開けて部屋に入ると、なぜか部屋の空気が異様に重かった。
ベッドに座ろうとしたとき、ふと壁に目をやった。
そこに、何か書かれていた。
「うるさいのは、あなたの部屋の“中”だよ」
震える手で部屋を見渡したが、誰もいない。
それでも、明らかに何かの気配だけが残っていた。
解説
この話のポイントは、「壁を叩いていたのは隣人ではなかった」という点にあります。
- 主人公は隣から壁を叩かれていると信じていたが、隣室は空室。
- それでも壁を叩く音がするため、物理的に説明がつかない。
- 最後のメッセージ「うるさいのは、あなたの部屋の“中”だよ」が核心であり、
**本当に音を立てていたのは、主人公の部屋の中にいた“何か”**だったという恐怖。
つまり、主人公はずっと「隣からの苦情」と思い込んでいたが、
実際には最初から“部屋の中に何者かがいた”ことになる。
静かに見守りながら、ずっと不快に思っていた存在が──。
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