高校生の妹がいる。
俺とは5歳離れていて、普段はそれほど会話をしない。
妹はおとなしく、読書が好きなタイプで、スマホよりも文庫本を手にしている時間のほうが多い。
そんな妹が、ある晩、リビングで急に話しかけてきた。
「お兄ちゃん、寝る前に『おやすみ』って言ってもいい?」
唐突な質問に戸惑いながらも、俺は「別にいいよ」と答えた。
その日から、妹は毎晩、俺の部屋に来て「おやすみ」と言ってくるようになった。
最初は少し気味が悪かったが、慣れるとそれも日課のようになっていた。
ある夜、妹が部屋に現れなかった。
珍しいなと思っていたが、眠気に勝てずそのまま寝た。
翌朝、リビングに行くと、妹が普通に朝食を食べていた。
「昨日、来なかったね」
そう言うと、妹はきょとんとした顔でこう言った。
「え? 昨日もちゃんと『おやすみ』って言ったよ?」
おかしい。俺は確かにその声を聞いていない。
「いや、来なかったよ。部屋に」
「……じゃあ、誰に言ったんだろうね」
そのやり取りに、少し背筋が寒くなった。
それから数日、妹はまた毎晩のように「おやすみ」と言いに来た。
でも俺は少しずつ、彼女の言動に違和感を覚えるようになっていった。
例えば、彼女の服装。
普段はパジャマかジャージなのに、毎晩現れる妹は、決まって白いワンピースを着ていた。
声も少し、掠れているような気がした。
気になって、ある夜、妹が「おやすみ」と言い終えた後に聞いてみた。
「その服、いつもと違うね」
すると、妹はドアの向こうから一言だけ返した。
「お兄ちゃんが、好きだったから」
俺はぞっとした。
妹がそんなことを言うとは思えなかった。
翌朝、リビングで妹に「昨日のこと、覚えてる?」と聞くと、「何の話?」と返された。
昨晩のやりとりは一切覚えていないようだった。
そして、ついに決定的な出来事が起きた。
その夜、妹は「おやすみ」と言ったあと、なぜかドアを開けて部屋の中に入ってきた。
「どうしたの?」と俺が尋ねると、妹は小さく笑って言った。
「今日で最後だから」
「最後?」
「うん……今までありがとう。これからは、もう来ないよ」
そう言って、妹は俺のベッドに近づき、頭を撫でた。
俺はそのまま、気を失ったように眠ってしまった。
翌朝、リビングに妹の姿はなかった。
母が青ざめた顔で電話をかけていた。
「さっき、学校から電話があって……」
妹は、登校中に交通事故に遭い、即死だったという。
その時間を聞いて、俺は絶句した。
事故が起きたのは、前の晩、俺の部屋に妹が「最後のおやすみ」を言いに来た直後だった。
……いや、待てよ。
事故は登校中に起きたんだよな?
じゃあ、前の晩に部屋に来たのは誰だった?
──そして、俺の中にある、もう一つの違和感がよみがえる。
最初に妹が「おやすみ」と言いに来たあの日。
彼女は俺にこう言った。
「寝る前に『おやすみ』って言ってもいい?」
……言っても“いい”?
許可を求めるような、その言い方。
まるで──他の“誰か”がその言葉を借りて、入ってこようとしていたかのように。
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