隣人のカメラ

私が今のマンションに引っ越してきたのは、春先だった。
最上階の角部屋で、日当たりも良く、駅からも近い。
完璧な物件だと思っていた。

ただ一つ、少しだけ気になる点があった。

隣の部屋の住人が、いつもこちらを見ていることだった。

引っ越しの挨拶をしたとき、50代くらいの無表情な男性がドアを少しだけ開けて顔を出した。

「……はぁい、よろしく……」

声はか細く、目は合わせてくれなかった。だが、数日後から、私の部屋の前をうろつくその姿を何度も見かけるようになった。

ゴミ出しの時間に顔を合わせると、無言でじっと見てくる。
洗濯物を干していると、向こうのベランダから視線を感じる。
カーテンを閉めているのに、なんとなく“見られている”という感覚が消えなかった。

ある日、外出から戻ると、ドアノブに見覚えのない細い傷がついていた。
誰かがピッキングを試みたような、そんな跡だった。

怖くなって、すぐに鍵を交換し、防犯カメラ付きのインターホンを設置した。

それからしばらくして、異変は起きた。

夜中、インターホンの履歴に、誰もいないのに押された記録が残っていた。

不審に思い、録画を再生してみると──
インターホンのカメラに、玄関の前にしゃがみ込んで何かをしている“誰か”の姿が映っていた。

画質は粗かったが、隣人の男だった。
しかも、その手には小型のカメラが握られていた。

翌朝、管理会社に連絡し、警察にも相談。
しかし、決定的な証拠とは言えず、注意だけで終わってしまった。

数日後、ベランダのサンダルが片方だけ消えた。
ゴミ袋を開けると、中に自分の下着が入っていた。

もう限界だと思った私は、部屋を引き払う決心をした。

引っ越し当日、最後に掃除をしようと押し入れを開けると、奥に小さなレンズのようなものが見えた。

取り外してみると、それは小型の隠しカメラだった。

後日、警察から連絡があり、隣人の部屋からも同様のカメラや写真、メモが多数見つかったとのこと。

彼は私が引っ越してきたその日から、毎日記録を取り続けていたらしい。

しかも、私の部屋だけではなかった。

「過去にも、何件か“未解決”の失踪事件があるんですよ」と警察は言った。

私は運が良かったのかもしれない。
ただ、今も時々、何かの視線を感じる夜がある。

あの隣人は、まだ──捕まっていない。

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