大学進学で一人暮らしを始めた俺は、郊外の古いアパートに住んでいた。
築年数は相当経っているが、家賃が破格だったためすぐに契約した。
引っ越し当日、部屋を掃除していると、押し入れの奥に古いメモ帳が落ちていた。
ボロボロの表紙で、ところどころシミがある。
中を開いてみると、何ページかにびっしりと手書きの文字が残っていた。
『声がする。今夜もまた誰かが廊下を歩いていた。
押し入れに入っていれば安全。ここだけは見つからない。』
日付は10年前。ページをめくるごとに、書き手の焦りが伝わってくる。
『窓の外にいる。目が合った。
だけど動かない。こっちを見てるだけ。』
『ごめんなさい。私があの人を怒らせたから。』
そして最後のページには、こう記されていた。
『もうすぐ見つかる。音が近い。
次にここを見た人、お願い。誰かに話して。私がいたことを忘れないで。』
気味が悪くなって、メモ帳をゴミ袋に突っ込んだ。
その夜、布団に入っていると、どこからか「コツ……コツ……」と、
廊下を歩くような音が聞こえてきた。
老朽化した建物のせいかと無理やり納得しようとしたが、
足音はぴたりと玄関前で止まり、しばらく沈黙が続いた。
やがて、玄関の郵便受けから「カラカラ……」という音が鳴った。
翌朝、確認すると、中には真っ白な紙が一枚だけ入っていた。
その紙の裏に、ボールペンで小さくこう書かれていた。
『……そこ、危ないよ』
ゾッとした。誰かのイタズラか、と思ったが鍵はちゃんと閉めていたし、
夜中に訪ねてくる知り合いなどいない。
あのメモ帳の言葉が頭から離れなかった。
その後も、夜になると毎晩のように足音が続いた。
とうとう我慢できず、管理会社に部屋の履歴を尋ねてみた。
すると、しばらく資料を見ていた担当者が、申し訳なさそうにこう言った。
「……実はその部屋、以前住んでいた女性が失踪してまして。
引き払った形跡もなく、荷物も残されたままで……
ご遺族も見つからず、そのまま処理されたんです」
俺は青ざめた。
押し入れのメモ帳。足音。白紙の手紙。
……この部屋に、まだ“誰か”が残っているんじゃないか。
いや、もしかしたら──“俺のことを見てる”のかもしれない。
あの手紙の最後に、うっすらともう一言、書かれていた。
『次は、あなたの番です。』
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