扉の向こうの男

社会人1年目の夏、俺は安アパートで一人暮らしをしていた。
築40年を超える木造のアパートで、2階建ての4世帯。風呂もなく、トイレは共同。

家賃は安いが、天井や床が薄く、隣の生活音が筒抜けだった。

ある晩のこと。
深夜2時を回っても眠れず、スマホを眺めていると、突然「コン……コン……」と玄関のドアが叩かれた。

こんな時間に誰だ?と思い、そっと覗き穴を覗くと──
そこには男が立っていた。
スーツ姿で、髪はぼさぼさ。表情は見えなかったが、ドアの真正面でピクリとも動かない。

「誰ですか?」と声をかけると、男はゆっくり顔を上げた。

目が合った。
その目は、焦点が合っていない。
何かを見ているようで見ていない、まるで人形のような目だった。

男は、しばらく無言のままこちらを見つめたあと、こう言った。

「……ここ、〇〇(俺の名字)さんの部屋ですか?」

一瞬迷ったが、「違います」と答えた。

すると男は、表情を変えずに「すみません」とだけ呟き、踵を返して階段を降りていった。

怖かったが、ドアの鍵が閉まっていることを確認して寝ることにした。

翌日、気になって大家に「昨夜誰か訪ねてきたか」と尋ねたが、そんな話は聞いていないという。

それから3日後の夜、また「コン……コン……」とノックがあった。
覗き穴を見た。……また、あの男だった。

しかも、今度は俺の名前をフルネームで呼んできた。

「……〇〇たけしさん、いらっしゃいますか……?」

背筋が凍った。名前なんて教えていないはずだ。

返事をせず固まっていると、男は5分ほどその場で立ち尽くし、やがて無言で去っていった。

気味が悪くなり、警察に相談することにした。

だが、警察が来て事情を話していると、驚くようなことを言われた。

「……実は2週間ほど前、すぐ近くのアパートで殺人事件があったんです。
被害者の名前が、あなたと同姓同名だったんですよ」

一瞬、血の気が引いた。

男は、間違えて“俺”を探して来たのか。

それとも、“そいつ”が“俺”の代わりに殺されたのか。

どちらにせよ、それ以降、その男は一度も現れていない。

けれど──夜中にドアの前に立つ気配を感じると、今でもあの目を思い出す。

まるで、“本当の標的”をまだ探しているような……そんな、目を。

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