大学1年の春、俺は近所の小さなスーパーでバイトを始めた。
そこは古びた商店街の一角にあり、地元の年配客が多かった。
仕事内容はレジと商品補充が中心。
バイト仲間のTさんは俺より2つ年上で、優しくて丁寧な人だった。
ある日、Tさんが「忘れ物を預かる専用の棚」を見せてくれた。
「財布とか手袋とか、けっこう忘れてく人多いんだよ。ほら、これも今朝拾ったんだけど…」
Tさんは、小さな黒い手帳を見せた。
「名前書いてないし、誰のか分からないんだけど、なんか……気持ち悪い内容だった」
中を見せてもらうと、走り書きでこんな文が続いていた。
・○月○日 女、赤いカーディガン
・○月○日 男、スマホの型番メモ
・○月○日 子ども、4歳くらい、右足引きずってた
まるで誰かを観察して記録したような文章だった。
「これ、警察に届けた方がよくないですか?」
俺が言うと、Tさんは笑って首を振った。
「うち、忘れ物は一定期間保管してから、処分してるんだよ。毎回警察に持っていくほどじゃないって、店長が言っててさ」
妙に軽い言い方が引っかかったが、その日はそれ以上聞かなかった。
それからというもの、Tさんは時々、他の“忘れ物”も見せてきた。
どれも普通の物──手袋、ペン、メモ帳──だが、
中には不可解なものもあった。
・子どもが描いたような絵(血のついた人物)
・鍵束(血のようなシミ)
・レシートの裏に「見つけた」と書かれた紙
そのうち、俺は忘れ物棚に近づかなくなった。
ある日、閉店後に在庫整理をしていた時、事務所の奥で誰かの気配を感じた。
カーテンの隙間から見えたのは、Tさんが“忘れ物棚”から何かを取り出し、それを段ボール箱に丁寧に詰めている様子だった。
箱の中には無数のメモ帳、手帳、鍵、壊れたスマホ──
そして、一番下に学生証が見えた。
見覚えがあった。去年、地元で起きた未解決の「失踪事件」の被害者の名前だった。
その日の帰り、Tさんが俺に言った。
「君さ、最近あんまり“忘れ物”に関心持たなくなったね」
笑顔だった。でも目が笑っていなかった。
「……俺、来月でバイト辞めることにしました」
とっさにそう言うと、Tさんは一言こう返した。
「そっか。じゃあ、君の分も“保管”しとかなきゃね」
あれ以来、Tさんとは連絡が取れない。
俺は店も辞めて、引っ越した。
でも今朝、ポストに一通の封筒が届いていた。
中には、俺の学生証と、見覚えのある黒い手帳。
そして1ページ目に、こう書かれていた。
・○月○日 男、バイト辞めると話す。今日から追跡開始。
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