住人のいない隣室

都内の小さなアパートに引っ越して半年になる。
会社からも近く、家賃も安くて、ひとり暮らしには十分な部屋だった。

だが、ひとつだけ不思議なことがある。
隣の部屋から、毎晩「音」がするのだ。

それは決まって深夜1時過ぎ。
壁越しに「カタカタ」「ギィィ…」という家具のきしむ音や、何かを引きずるような低い音がする。

最初は「隣人が夜型なんだな」くらいに思っていた。

けれどある日、郵便受けに間違って投函された手紙を隣室に届けようとしたとき、ふと異変に気づいた。

ドアに貼られていた紙に、こう書いてあったのだ。

「この部屋は現在空室です。不動産管理会社 ○○不動産」

空室? じゃあ、あの音は?

不思議に思い、翌日不動産会社に電話してみた。
返ってきたのは、「半年以上前から誰も入っていない」という回答だった。

その夜から、妙に落ち着かなくなった。

それでも、音は続く。
「ギィィ…」「カタンッ」「トン…トン…」
誰かが何かを作業しているような、奇妙な音だ。

ある日、会社帰りにアパートの前で中年の男性に声をかけられた。

「すみません、このアパートに住んでる方ですか?」

俺が「はい」と答えると、男は少し躊躇ってから言った。

「昔、隣の部屋に女性が住んでたんです。夜中にいつも音がしてて……通報が入って、警察が来たときには、もう…」

「もう、何ですか?」

「中で…首を吊ってたらしいです。家具の移動音みたいなのは、たぶん、踏み台を動かす音じゃないかって」

言葉を失った。

その夜、耳を澄ませると、今までとは違う音が混ざっていた。

「ギィィ…」
「カタンッ」
そして……「カツ、カツ、カツ」と裸足の足音が壁越しに近づいてくる

次の瞬間、**ドン!**と壁を叩く音。まるで「こっちを見ろ」とでも言うように。

翌朝、引っ越しを決意した。

荷造りの途中、なんとなく隣室のドアノブに手をかけてみた。
当然、鍵はかかっている。だが、そのとき──ドアの向こうから「ありがとう」と小さな声がした。

俺は全力で部屋に戻り、すぐに不動産会社に連絡した。

それ以来、もうその部屋に近づくことはない。

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