大学を卒業したばかりの春、俺は東京で就職が決まり、都内の格安シェアハウスに住むことになった。
築古の一軒家をリノベーションした物件で、全部で5人の住人がいた。
家賃は安く、個室もあり、共有スペースにはキッチンとシャワーがあった。
住人同士の交流も最低限で、適度な距離感が気に入っていた。
ただ、一つだけ不可解だったのが、「1階奥の部屋」だった。
その部屋のドアはいつも閉まっていて、誰が住んでいるのか誰も知らなかった。
オーナーに聞いても、「倉庫代わりにしている」と言うだけで、立ち入りは禁止されていた。
ある日、同じ住人の佐藤が急に退去した。
理由は教えてくれず、連絡も取れなくなった。
それから数日後、共有のWi-Fiルーターの位置を確認しようと、家の配線図を探していたら、シェアハウスの内部地図のようなものを見つけた。
手書きのそれには、各部屋の配置と名前が書かれていた。
1階手前:「田中」
2階左:「山本」
2階右:「俺」
1階奥:「佐藤」
……佐藤?
退去したはずの佐藤が、“1階奥”に住んでいたことになっている。
いや、待て。佐藤の部屋は2階右隣だったはずだ。
不可解に思い、他の住人に聞いてみた。
すると、山本が青ざめた顔でこう言った。
「俺も、同じ地図見たことある。でも……佐藤ってさ、入居者リストに載ってなかったんだよ」
確認すると、管理会社の契約書に佐藤の名前はない。
もともと住人は4人のはずだったのに、なぜか“佐藤”が普通に暮らしていた。
引っ越してきたとき、鍵もちゃんと持っていたし、キッチンも使っていた。
普通に会話して、普通に生活していた。
だが、契約者リストには存在しない。
さらにおかしなことに気づいた。
あの「1階奥の部屋」、いつも鍵がかかっていたはずなのに、先日、深夜に微かにドアが開いた音がした。
誰かが出てきたような気配がしたが、確認する勇気はなかった。
俺と山本は恐怖にかられ、その週末に急いで退去した。
引っ越しの手続きをしている最中、山本がこう言った。
「……なあ、佐藤って、どこに行ったんだろうな。
本当に……いたのかな、あいつ……?」
俺も答えられなかった。
もしあの部屋が空き部屋だったとしたら──
ずっとあそこにいた“佐藤”は、いったい誰だったのか。
コメント