となりの部屋の音

大学進学で一人暮らしを始めて数ヶ月が経った頃、アパートの「となりの部屋」から妙な物音がするようになった。

 最初は、夜中に何かを落としたような“ゴンッ”という鈍い音だった。
 古いアパートだし、物音が響くのはよくあることだと思っていた。

 けれど数日後から、それは規則的になっていった。

 夜11時を過ぎた頃になると、毎晩同じようなタイミングで「コツ……コツ……」と壁をノックする音が聞こえる。
 最初は1回、次の晩は2回、さらに次は3回──まるで数を増やしていくかのように。

 冗談半分で友人に話すと、「それ、ヤバいやつじゃね?やめとけよ」と笑われた。
 けれど妙に気になって、翌日、隣の部屋に住んでいる人を確認しようとポストを見に行った。

 隣の部屋の表札は空白で、ポストにはチラシが何枚も詰まっていた。
 しばらく人が住んでいない雰囲気だった。

 大家に聞くと、「あそこは1年以上誰も入ってないよ。荷物もないし、空室のまま」と言われた。

 ──じゃあ、あの音は?

 気味が悪くなり、それ以来イヤホンで音楽をかけながら寝るようにした。

 ある夜、深夜2時過ぎ、ふと目が覚めた。
 イヤホンが外れていて、静かな部屋に、あの「コツ……コツ……」という音が響いていた。

 しかもその夜は違った。
 ノック音のあと、かすかに笑い声が混じっていた

 壁に耳を当てると、「フフ……フフフ……」という微かな女の声。
 それを聞いた瞬間、背筋が凍った。

 次の日、大学をサボって一日中外にいた。
 帰宅すると、ドアの前に小さな紙袋が置かれていた。

 中には──使い古された白い手袋が入っていた。
 何かのシミがついていたが、赤黒くて内容まではわからなかった。

 気持ち悪くなってすぐに警察に相談した。
 事情を話すと、一応見回りはしてくれるとのことだったが、決定的な証拠もなく動きようがないという。

 その日の夜、念のため部屋の電気をつけたまま寝た。

 ──午前3時すぎ。

 「コン、コン、コン、コン、コン……」

 目が覚めた瞬間、壁から5回のノック音が聞こえた。
 そして続けて、「……次は君の番だよ」という女の声。

 そこからの記憶がない。

 気づいたときには朝になっていて、壁には血のような赤茶色い手形がついていた。
 慌てて写真を撮って警察に連絡したが、現場に来たときには跡形もなく消えていた。

 あまりに精神的に参ってしまい、俺はそのアパートを引き払うことにした。

 引っ越し当日、荷造りの最中に、壁と家具の隙間に封筒が挟まっているのを見つけた。
 中には一枚の手紙が入っていた。


「あなたはもう“こっち側”の音が聞こえるようになってしまった。
次の人にも、教えてあげてね。音が始まったら、逃げられないって」


 それからというもの、夜になると、どこからともなく「コツ……コツ……」という音が聞こえる。
 引っ越し先の新居なのに。
 隣は誰も住んでいないはずなのに──。

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