僕が通っていた小学校は、地方の山間にあり、全校生徒で60人程度の小さな学校だった。
家から学校までは徒歩15分ほど。登校途中に通るT字路の角には、古い家が一軒だけ建っていた。
その家には、おばあさんが一人で住んでいて、毎朝、家の前を通る僕に「おはよう」と声をかけてくれた。
いつも同じ場所に立って、にこにこしながら手を振ってくれるその姿は、どこか絵本の中の登場人物のようで、僕は彼女が好きだった。
ある日、母がその家の前を通ったとき、こんなことを言ってきた。
「最近、あのおばあさん、見かけなくなったね」
僕は驚いた。「そんなことないよ、今朝も『おはよう』って言ってくれたよ」と返すと、母は少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
それから数日後、学校で先生が突然こんな話をした。
「あのT字路の角の家に住んでいた山岸さん、亡くなっていたそうです。
体調を崩して寝たきりだったそうで、しばらく誰とも連絡が取れず、今朝、様子を見に行った親族が発見したそうです」
教室が静まり返る中、僕は混乱していた。
だって僕は──今朝も、おばあさんに「おはよう」と挨拶されたからだ。
翌朝、登校中にその家の前で立ち止まった。
扉は閉まっていて、窓にもカーテンが引かれていた。人の気配はない。
けれど、いつものように「おはよう」と声をかけると──。
「おはよう、◯◯くん」
返事が返ってきた。
その日以来、僕は毎朝「おはよう」と挨拶し、返事をもらうのが日課になった。
不思議と怖くなかった。返ってくる声はいつも優しくて、あたたかかった。
数ヶ月後、転校することになり、最後の登校の日。
いつものように家の前で立ち止まり、深くお辞儀をして「今までありがとう」と伝えた。
返ってきたのは、ほんの少し寂しそうな「……気をつけてね」という声。
それが、おばあさんとの最後の会話だった。
解説
この話の怖さは、“事実”に気づいた瞬間に訪れる。
おばあさんは既に亡くなっており、発見されたのは**「今朝」**。
つまり、主人公が「おはよう」と声をかけ、返事が返ってきたその“直後”に遺体として発見されたということになる。
おばあさんは本当に“そこ”に立っていたのか?
それとも、少年にしか見えていなかったのか?
あるいは──少年が話していた相手は、既にこの世の存在ではなかったのかもしれない。
何より、母が数日前から「見かけない」と言っていることから、
彼が見ていた“おばあさん”は、既にこの世にいない存在だった可能性が高い。
一見、心温まる話に見えるが、全体を通して読み返すと、
「毎朝の挨拶」の背後には、誰にも気づかれない“別れ”の物語が隠されている。
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