社会人2年目の春、私は念願だった一人暮らしを始めた。
都内では珍しい2DKで、築年数の割に家賃も安かった。
最初の内見のとき、部屋の空気はどこかひんやりしていた。
でも、日当たりも良くて間取りも悪くない。引っ越し業者の見積もりも取って、私はすぐに契約した。
引っ越してすぐの頃、1つ気になることがあった。
夜中になると、隣の部屋──使っていない方の洋室の扉が、少しだけ開いているのだ。
最初は「風のせいかな」と思っていた。古い建物だから、気密性も低い。
でも、締めても締めても、翌朝になると必ず10センチほど開いている。
ある晩、寝る前にガムテープでドアを固定して寝てみた。
翌朝──テープは綺麗に剥がされ、ドアはまた10センチ開いていた。
背筋が凍った。
だが、この時点では「誰かが忍び込んでいるのか?」という不安の方が強かった。
管理会社に頼み、防犯カメラを設置してもらうことにした。
数日後の深夜、再びドアが開いていた日。
私は翌朝、ワクワクしながら録画映像を確認した。
画面には、私が寝室へと消える姿が映っていた。
そして、午前2時17分──誰もいないはずの部屋のドアが、ゆっくりと内側から開いた。
私は凍りついた。
その瞬間、画面の端に赤い服を着た女が一瞬だけ映った。
長い髪。白い顔。カメラの死角に、音もなく立っていた。
私は混乱のあまり、すぐにアパートを飛び出した。
その日はネットカフェに泊まった。
翌日、管理会社に映像を見せ、すぐに解約を申し出た。
担当者は青ざめながらこう言った。
「……やっぱり、また出たんですね。あの部屋、過去に事故がありまして……」
事情を知らずに契約してしまったことに腹が立ったが、それ以上に恐怖で頭が真っ白だった。
1週間後、引っ越し作業を終えた私は、最後の確認で再びその部屋を訪れた。
もう誰もいないはずの部屋──のはずだった。
玄関を閉めようとしたとき、ふとリビングの隅に目が留まった。
壁に、赤い口紅で何かが書かれていた。
「いっしょに住んでくれてありがとう」
私は二度と、その部屋のあるアパートの近くを通らなかった。
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