私は母と弟との三人暮らしだ。
父は私が中学生の頃に事故で亡くなり、それ以来、母が女手ひとつで私たちを育ててくれた。
弟は私より4つ年下で、無口だけれど素直で優しい子だ。
母は介護施設で働いていて、朝早く出て夜遅く帰る。
そのため、私は学校から帰ると弟の面倒を見たり、夕飯を用意したりしていた。
ある日、母が珍しく休日を取って家にいた。
「久しぶりに三人でご飯、嬉しいね」と笑う母の顔は少し痩せていたけれど、どこかほっとした様子だった。
食卓に座ると、弟は黙々とご飯を食べていた。
私は「最近学校どう?」と聞いたが、彼は「ふつう」とだけ返した。
変わらない日常だ。
──その夜、私はふと目が覚めた。
廊下の奥から、小さな声が聞こえる。
「ねえ、お姉ちゃん……起きてる?」
弟の声だった。
私は布団から起き上がり、部屋のドアを開けた。
廊下には、弟が立っていた。真っ青な顔をして、手を震わせていた。
「どうしたの?」
弟は、しばらく黙っていたが、ぽつりとつぶやいた。
「……あの人、誰?」
私は意味がわからなかった。
「え?」
「さっきまで、一緒にご飯食べてた人。……ママじゃないよね?」
ゾクリと背筋が冷えた。
何を言ってるのか、わからなかった。だって、母は……。
私は弟の手を取ってリビングに向かった。
そこには、母がいた。ソファで寝ていた。
でも、なぜか私は声をかけられなかった。
部屋に戻ると、弟は布団に入るとすぐに眠ってしまったようだった。
翌朝、朝食の準備をしていると、母がキッチンにやってきた。
「昨日、夜中に廊下にいたみたいだけど、何かあったの?」
私は「ううん、なんでもない」とだけ答えた。
その日の夜。
私は母にあることを聞いてみた。
「ねえ、ママ……弟のこと、最近どう思ってる?」
母は少し驚いた顔をして、答えた。
「……え? 何言ってるの? あなた、一人っ子じゃない」
私は笑った。
冗談だと思ったから。
でも、母は真剣な顔で、もう一度言った。
「小さい頃から、あなたにきょうだいなんていなかったでしょう?」
私は部屋に戻り、弟を見た。
彼はそこにいた。布団にくるまって眠っていた。
私はそっと声をかけた。
「ねえ……起きてる?」
弟はゆっくり目を開けて、私を見た。
そして、こう言った。
「……バレちゃった?」
その瞬間、私は金縛りにあったように体が動かなくなった。
弟の目が、だんだんと黒く染まっていく。
口元がゆっくりと、裂けるように笑った。
「もうすぐ、三人じゃなくなるからね」
私は悲鳴を上げようとしたが、声が出なかった。
そのまま気を失った。
翌朝。
私はベッドで目を覚ました。
夢だったのかと思ったが、部屋の隅には“弟の制服”がきちんと畳まれて置かれていた。
私は母に聞いた。
「昨日……弟、いたよね?」
母はやさしく笑って、こう言った。
「だから、あなた……弟なんていないのよ。ずっと、私と二人暮らしじゃない」
私は今でも、夜になると声を聞く。
「三人で、暮らそうよ……」
■ 解説
一見すると、語り手(姉)・弟・母の三人暮らしに見えるが、実際は「弟」は存在していなかった。
- 母は最初から「一人っ子だ」と言っていた(=本当の記憶)
- 弟だけが「“ママじゃない何か”がいる」と見抜いていたように見えるが、実はその「弟こそが異質な存在」
- ラストで“弟のフリをしていた何か”が「三人じゃなくなる」と言ったのは、“本当の母”を排除しようとしていた可能性を示唆
- 「三人暮らし」ではなく、「一人と母と“何か”の存在」であり、すでに乗っ取られつつある
つまり、家族の中に紛れ込んでいる“異物”に気づけない怖さがこの話の本質です。
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