その日、娘が無事に帰ってきた。
行方不明になってから丸2日。家族は警察と一緒に山中を捜索し、奇跡的に保護されたという。
保護されたのは、山奥の登山道近くにある小屋だった。
ボランティアの男性がたまたま中にいるのを見つけ、通報してくれたらしい。
連絡を受けたとき、私は声を上げて泣いた。
――本当に、生きていたんだ。
病院で検査を受けた娘は、脱水と軽い栄養失調があったものの、命に別状はなかった。
ただ、ショックのせいか、ほとんど言葉を発さない。
事件性がないことを確認した後、娘は無事に退院し、家に戻ってきた。
家族で出迎えると、娘は小さく笑った。
「……ただいま」
その言葉に、また私は涙ぐんだ。
けれど、帰宅して数日が過ぎるうちに、私はある違和感に気づいた。
まず、娘が私たち家族の名前を一度も口にしない。
「お父さん」「お母さん」といった呼び方もない。話しかけるときは、視線だけを向けて、少しだけ頷く。
そして──
好きだったアレルギー食品を、平然と口にした。
うちの娘は重度の卵アレルギーだ。
しかし、食卓に出したプリン(卵入り)を、何も気にせず食べていたのだ。
慌てて止めたが、何の症状も出なかった。
「……大丈夫、もう治ったのかな?」
妻はそう言ったが、私は納得できなかった。
娘の行動や仕草も、どこかぎこちない。
家の間取りは完璧に覚えている。
けれど、自分の部屋に置いてあったぬいぐるみの名前を思い出せない。
かと思えば、クローゼットの中にある私の古い趣味の品を見つけて、
「これ、まだ大事にしてるんだね」
と笑った。
──娘には見せたことも、話したこともないものだ。
さらに数日後、学校の先生が訪ねてきた。
「戻ってきたのは本当に良かったです。でも……」
先生の話では、娘が“学校での友人の名前をまったく覚えていない”という。
ただし、「教室の席順」や「給食の時間のルール」など、環境に関することはすべて把握している。
まるで、外側の情報だけを詰め込まれた別人のようだと、先生は言った。
……私は、どうしても信じられなかった。
本当に、目の前にいるこの子は、うちの娘なのだろうか?
ある晩、私は寝静まった家の中で、娘の部屋にそっと近づいた。
ドアの隙間から中をのぞくと、娘は机に向かって何かをノートに書いていた。
そのノートを、私は翌朝こっそり見た。
そこには、まったく知らない文字がびっしりと並んでいた。
文字というより、記号のようなもの。
どこか外国語にも見えるが、どの言語とも違う。
そして、ページの一番下に、たった一行だけ日本語が書かれていた。
「この身体、うまく動く」
私はその日、警察に再び連絡を入れた。
けれど、どう説明すればいいのだろう。
「うちの娘が、娘じゃない気がするんです」と?
今も、彼女は笑っている。
以前よりずっと穏やかに、優しくなったように見える。
……だが私は、もう一度あの山に行ってみようと思っている。
きっと、“本当の娘”はまだ、あの山のどこかにいる気がしてならない。
■ 解説
物語の核心は、「戻ってきた娘」が**“本物”ではない**という点です。
ポイント:
- アレルギー体質だったのに無反応
- 家族の名前や大切なぬいぐるみの名前を忘れている
- 見せたことのない趣味の品を知っている
- ノートに意味不明な記号と「この身体、うまく動く」という記述
これらから推察されるのは、
娘の体を別の存在が乗っ取っている、あるいは完全にすり替わっているということ。
本人の記憶や人格は欠けているが、環境情報だけを持ち合わせており、見た目だけは“娘そのもの”──
つまり、家族も周囲も見分けがつかない。
しかし、父親だけが違和感を察知してしまった。
では、いま家で暮らしているのは誰なのか──
それを知る術は、もうない。
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