私が引っ越したのは、都内から少し離れた古びた団地だった。
家賃の安さと、駅からの距離に惹かれて即決したが、最初からどこか妙な雰囲気を感じていた。
入居当日、押し入れの奥に小さな箱が置かれていた。
中には、赤い着物を着た日本人形が入っていた。ガラスケースなどはなく、むき出しのまま、埃まみれで座っていた。
気味が悪くて、そのままゴミ袋に入れて捨てた。
……はずだった。
翌日、仕事から帰ると、その赤い人形が玄関に座っていた。
ぞっとして、今度は燃えるゴミとは別にして、段ボールごと封をし、近所の粗大ゴミに出した。
それでも──また、戻ってきた。
今度は押し入れの中に座っていた。まるで、最初からそこにいたかのように。
このあたりから、部屋の中で奇妙な音が聞こえるようになった。
誰もいないはずの風呂場から「チャポ……チャポ……」という水音。
真夜中、壁の向こうから誰かの泣き声。
エアコンもテレビも切っているのに、ずっと耳鳴りのような声が響いている。
ある晩、ふと気配を感じて目を覚ますと、布団の横に誰かが立っていた。
……赤い着物の人形だった。
まばたきもせず、じっとこちらを見ていた。
叫んで部屋の電気をつけると、何もいなかった。
だが、布団の足元には小さな足跡が濡れたように残っていた。
もう限界だと思った私は、近くの神社に駆け込み、人形のことを話した。
神主は真剣な顔でうなずき、こう言った。
「それ、元はウチの神社の納所にあったものかもしれません。
“赤い人形”は、ある願掛けに使われていたものなんです。
でも、その持ち主の願いが叶う前に亡くなって……以来、帰る場所を失って彷徨っているんです」
神主はお祓いをしてくれ、私はその人形を神社に納めてもらった。
少しずつ部屋の異変も収まり、ようやく安心できると思っていた──
ある日、出勤しようとドアを開けたとき、思わず凍りついた。
玄関の前に、赤い人形が、また座っていた。
胸元には、こう書かれた札が貼ってあった。
『あなたの願いは、まだ叶っていません』
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