高校生の俺は、いつもより遅い時間に塾から帰宅した。
家に着いたのは午後10時過ぎ。玄関の鍵を開けて中に入ると、暗がりの中から母の声がした。
「おかえり」
「ただいま」と返し、靴を脱いで部屋に入る。
母の姿は見えなかったが、居間のテレビがついていた。
「ご飯、レンジにあるよ」
声だけは聞こえるが、母の姿はやはり見えない。
「ありがとう」と言いながら、温め直して一人で夕食を済ませた。
その間、ずっと母の声は台所から聞こえていた。
鍋を洗うような音、食器の片付けをするような音。
でも、なぜかその音に違和感があった。
規則的すぎるのだ。まるで録音されたように、同じ音が何度も繰り返されていた。
「母さん、いつ出てくるの?」
と声をかけたが、返事はなかった。
食事を終えて部屋に戻ると、LINEに母からメッセージが届いていた。
『今日は職場の飲み会で遅くなる。鍵かけて寝ててね』
……?
驚いてすぐに電話をかけた。
「今どこ?」
「え? まだ職場の近く。終電までには帰るよ」
「でも、さっき『おかえり』って……台所から声してたけど?」
「何言ってるの? 誰も家にいないよ」
電話を切ったあと、家中の明かりをつけて確認した。
どの部屋にも誰もいなかった。台所も静まり返っている。
居間に戻ると、テレビが勝手に消えていた。
不安になって布団にもぐりこみ、スマホの録音アプリを起動して眠ることにした。
翌朝、母が帰宅していた。
昨夜の話をすると、「夢でも見たんじゃない?」と笑われた。
だがスマホの録音には、確かにあの声が残っていた。
「おかえり」「ご飯あるよ」「片付けしなきゃね」
そして、録音の最後に──こんな一言が残されていた。
「……次は、あなたの声をまねしてもいい?」
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