大学生の頃、2階建ての古いアパートに住んでいた。
俺の部屋は201号室で、隣の203号室は半年以上ずっと空室だった。
管理会社が言うには、前の住人が夜逃げ同然で出て行ったとか。
気味が悪かったが、家賃が安かったし、特に気にはしていなかった。
だが、ある夜、風呂上がりにドライヤーをかけていると、壁の向こうから声が聞こえた。
「……寒い……寒い……」
一瞬、テレビの音かと思ったが、消していた。
壁に耳を当てると、微かに、誰かがぶつぶつとつぶやいている。
「……帰れない……どこ……ここ……」
その時はゾッとしたが、風の音や配管の共鳴かもしれないと無理やり納得して眠った。
だが、翌日以降も、深夜1時を過ぎた頃になると、203号室の壁越しに**“女の声”**が聞こえるようになった。
泣いているような、呻いているような、不規則な息遣い。
数日後、管理会社に相談した。
「いや、203号室には誰も入っていませんよ。鍵も閉めてあるし、空き部屋のままです」
それでも声は続いた。
ある夜、耐えきれず203号室のドア前まで行ってみた。
中からは何の音もせず、気配も感じられなかった。
だが、ドアノブに手をかけようとした瞬間、内側から「カチリ」と鍵のかかる音がした。
その音に凍りつき、その日は眠れなかった。
次の日、意を決して管理会社に再び連絡し、203号室を立ち会いで開けてもらうことになった。
古びた鍵をガチャリと開けると、室内には埃が積もり、誰かが入った形跡はなかった。
だが、押入れの中に、一冊のノートが落ちていた。
管理人が「処分しておきます」と言って持ち帰ったが、
その夜から、俺の部屋で“声”が聞こえるようになった。
「……見つけてくれた……ありがとう……」
壁越しではない。部屋の中だ。
ベッドの下、風呂場の天井、冷蔵庫の裏。
あちこちから、毎晩「ありがとう」と繰り返す声が響くようになった。
最終的に俺は引っ越した。
以来、その声は聞いていない。
ただ、引っ越しの荷造りの途中、押入れの奥にあったダンボールの中に、見覚えのないノートが入っていた。
最終ページには、こう書かれていた。
「次は、204号室」
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