空室のはずの部屋

会社の同僚・田島が引っ越したマンションには、ちょっとした曰くがあった。
「隣の部屋、ずっと空室なんだってさ」
田島がそう言っていたのは、入居してすぐのことだった。駅近で家賃も手頃なその物件。空室があるのは少し不自然にも感じたが、特に気にする様子もなかった。

ある日、田島が疲れ果てた顔で会社に来た。
「昨日、夜中に隣の部屋から何か聞こえてさ……」
聞けば、女のすすり泣くような声が壁越しに聞こえたという。だがその部屋には誰も入居していないはず。管理会社に確認したが、やはり空室だったという。

次の日、田島は念のためスマホで録音を仕掛けて寝た。
翌朝、音声を確認してみると、確かに誰かの泣き声が録れていた。しかも、それに混じって「返してよ……返して……」という女の声が聞き取れたという。
さすがに不気味になり、田島は週末に大家へ相談に行った。

しかし、大家は口を濁しながらこう言った。
「あの部屋は……以前、若い女性が住んでいてね。恋人とのトラブルで……自殺しちゃったんだよ。以来、誰が入ってもすぐに出て行ってしまって……今はもう、貸してないんだ」

田島は言葉を失った。あの夜聞こえた声は、本当に“誰か”のものだったのだ。
その日を境に田島はマンションを出たが、引っ越し当日の朝、部屋の扉に手紙が差し込まれていた。
そこには、ただ一言。

「返してよ」

田島は今も、その手紙を持っているという。

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